ブログ初日を祝福してくれているかの様な、綺麗な夕焼けでした❣️
ありがとう😊
ブログ初日を祝福してくれているかの様な、綺麗な夕焼けでした❣️
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私は都内、某高校を卒業し調理師の専門学校に一年行きました。
卒業と同時に調理師の免許を取り都内某ホテルの日本料理店に勤務しました。それが悪夢のスタートです!
そこはホテルなので朝食からランチディナーの提供をします宿泊者はもちろんですが、一般のお客様がメインで来店されます。
当時調理スタッフは30人以上いて、勤務体制ですがシフトで交代制で朝食の準備をするスタッフが3人、忙しい時は午前3時ごろに仕事に入ります。泊まり込みでの仕事ですね!そのあとランチそれからディナー片付けして終わるのが夜11時ごろになります。
特に年末年始がいつも1番忙しくおせち料理の用意があるので仕事が終わらずに冷蔵庫、冷凍庫の中で食材を探しているうちに年を起こしてしまったりと言うことが若い時は多かったですね。(≧∀≦)
1日12時間から14 、5時間忙しい時は仕事をしていました。
食事休憩なしってことも結構ありました。
今はありえない考えられないかもしれないけど昔の調理人の職人さんはそんなのが当たり前の世界でした。
今思えば1番良かったのはそれだけ頑張って踏ん張って踏ん張ってたからその後いろいろな大変なことがありましたけど、当時そんな状況の中やってきたことが自信につながりちょっとやそっとのことではへこたれずに何とも思わなくなりましたね。忍耐力がついたって言う事ですね。
調理場の中でもポジションがありまして、まず1番最初に入るポジションとして追い回しと言うのがあります。
調理学校に行き免許を取ったとは言え現場に入って何もできない、右も左も分からない状況なのでとりあえず「元気とやる気」だけを見せることぐらい!まず先輩一人一人に元気の良い挨拶、返事!そこからのスタートです。これは基本です。
仕事の内容としては雑用・全般調理場全体の整理整頓・料理長のお茶くみ・食材の片付け・ゴミ捨て・ゴミ箱洗い・鍋などの調理器具の洗い物等、やらなければならない仕事が山ほどあるのに早くしろ早くしろと先輩からケツを叩かれてる日々が続きます。
楽をしていた学生時代とのギャップの違いについて行けるか?心配な時もありましたが、とにかく、どうせやるのであれば早く仕事を覚えたいと思い何も考えず、ただがむしゃらにやってました。
新入社員の時は、その他全員が先輩なので、いろいろ仕事を、あれやれ!これやれ!と頼まれます。コツもあるけどとにかく早く手を動かす動かすしかない、ここで際の良さが身についた感じはあります。なのでやっている事は全て無駄じゃないんです。なんでも視点を変えるとプラスに働くことが多く必ず後につながってくると思います。
修行時代ですからね、とにかく怒られない日がないと言う位怒られていました。
だからいまだに人に褒められると言うことにあまり慣れていない、たまに褒められても、またすぐ怒られるからいちいち喜んでいられない。
とにかく我々後輩の仕事は、先輩方が仕事をしやすいように先輩の仕事がスムーズに行くように周りの状況を読み先回りして準備をすること、と考えていました。
そういうことを考えていくうちに段取りが良くなっていった感覚はあります。
タイムカードは一応あるけど残業代なんてほとんど無いので、お金の代わりに早く仕事を覚えてやろう!と言う思いは強かったです。辛くてもやめようと言う選択肢は捨てていましたし、考えないようにしていました。
あと心がけていたのが人の嫌がる仕事、洗い物ゴミ箱掃除、床掃除等、要するに、きつい汚い仕事をなるべく自分が率先して言われる前にやるようにしていましたね。
そしたらだんだん先輩方から認められるようになり、少しずつ包丁を使う仕事とかいろいろ教えてもらえるようになりました。
その辺から仕事の楽しみがほんの少し出てきたと言う感じがありました。
次は盛り方です。
先付け前菜を作るポジションになります。
食材の仕込み管理も大事ですが、盛り付けのセンスと言うのも大事になってくるので前菜だと、中国の山水画みたいに、遠くの山、中間の山、近くの山、また懐敷、葉っぱなどの飾りで前に細かいものを盛り付け色形など情景を想い考えながらバランスよく盛り付ける。
この時期によく言われたのが美的センスを磨くために、良い器、高いのものは社会的に価値のあるものだから「良い物を見る、触れ、感じる、良い画、生花、伝統工芸品、国宝級の何々だとか、とにかく良いものを見るようにしろ!」と最初は何もわからなくても見続けているとだんだんと、少しはわかるようになった気がします。
次焼き方、焼き物を出すポジション。
魚・うなぎ・肉・野菜などを焼いて出す。
通常コース料理だと一品一品、お出しするので焼き物もお客様の食べるタイミングに合わせて焼き始めるので、失敗できない、プレッシャーと、焼き台の前で仕事をしているから熱であおられて焼き方に入った当初は1ヵ月で5キロ位痩せてしまいました。
次は脇板、刺身を引く先輩の手伝いです。
刺身のツマ、器、わさび等の用意、先輩の引いた刺身を盛り付ける。
この時に刺身の弾き方を見て覚えて、家ではこんにゃくを使って薄造りの練習をするなどよくやりました。
板方、そして次の年に、刺身を引かせてもらえるようになったのは本当に嬉しかったです。苦労した分、余計に嬉しいものですよね。
次は揚げ方、お客様が目の前に並ぶ天ぷらカウンターに行きました。ここでも1年ぐらい天ぷらを揚げている先輩の脇で見て教えてもらいながら天ぷらのエビエキスアナゴ野菜等の仕込みをしていくわけですけど、なるべく早く仕事を覚えるために、休憩時間に天ぷらの上げる練習をしたり、先回りして仕込みをして先輩に仕事をさせないように心がけていました。そしてカウンター2年目に天ぷらを揚げさせてもらえるようになりました。
カウンターでお客様にあれちょうだいこれちょうだいと言われて、忙しすぎて頭が真っ白になりながら、天ぷらを揚げていたのを思い出します。投げ出すわけにはいかないし、いかに綺麗に揚げられるか?とことん悩みました。
次は脇鍋、煮物の食材の仕込み、下処理、煮方の先輩の脇でサポートをさせていただき、煮物の味、お吸い物の味を見させてもらいながら勉強していきました。
ちなみに先輩方から味を見ろ!なんて言われないですからね!心構えとして大事なのが、なんでも、欲しかったら自分で取りにいかなければダメと言うこと!先輩に言われてからでは遅い、自分からどんどん仕事を覚えていかないといつまでたっても先に進めず、そのうち邪魔だから、どっか行けって話になるわけです。
ここで1年脇鍋をやらせて頂き、店の味を決める重要な仕事を任される煮方をやるわけです。
料理と言うもの味付けと言うものは極端に言うと正解がないものなので、料理長の味になるべく近づけるように味付けをして、味見をしてもらうのが本当に大変でした。
もうすぐお客様に出さなければいけないお椀の吸い物の出汁を確認しに行っても、よしと言ってくれないんですから〜、ここでも大変な思いを色々としました。
ただ料理長との信頼関係は強かったので私のために厳しくしてくれているんだなぁ〜とは思える方だったので、ついていくことができました。
とは言え、時には仕事に行きたくなく、仕事が終わり、家に帰り、寝るときに大地震か何かあって次の日が来ないければいいなぁなんて考えてしまう日が多々ありました。笑 今思うと病気ですよね!
仕事を覚えるための修行ですから、自分がこれと決めたからにはやり続け、将来の自分のためにがんばりたかった!とそんな思いが当時ありました。
料理人の目標としては、大体自分の店を開くか、会社員としてでもどこかの店で、料理長として働きたい、このどちらかなんですね。
もしくは調理師学校の講師として料理を教えている人もいますね。
私の修行時代は、大体こんな感じでした。
もちろんお店によってまたその職場の状況によって、やることや、進み方も違う、と言う事も頭に入れといてください。
以上です。
もしこれから、日本料理の板前として、頑張って行こうという方、応援📣します。
頑張ってください。
何かアドバイス出来る事があれば幸いです。
50歳を過ぎまして、初めてブログを始めたいと思います。
コロナ禍の中、まだまだ様々な制限に縛られて生活を余儀なくされている皆様、日々の生活お疲れ様です。
そんな中、「気持ちだけでも前向きに少しでも多く笑顔が溢れる世の中になってほしい‼︎」と願いこのブログを始めました。
私は和食の調理師を30年以上やっております料理で、又料理以外でも何か皆様が喜んでいただける笑顔になってもらえることをしていきたいと思います。